ストーンハウス伝承神話「天地再創の陰陽神」

【第一章 光と闇】

昔、世界は三つに分かれていた。光の国、調和の国、混沌の国。
光の国を総べるのは、王ではなく一人の若い巫女である。巫女の名はイル・ルカ。
イル・ルカは類まれなる美貌と、人を惹きつけて離さない人徳とカリスマ性を兼ね備えた美女だった。誰に対しても分け隔てなく優しさと救いの手を差し伸べる彼女の周りには常に人々が集い、誰もが笑顔で幸せそのものといった表情をしていた。

光の国の人々は皆、太陽の巫女であるイル・ルカを慕っていた。
彼女は文字通り、人々にとっては太陽のような存在で、なくてはならないものだった。
人々の幸せそうな笑顔をみてイル・ルカは思う。純粋な光こそが幸せであり、至高の存在なのだと。その光を守り、より純度の高いものを人々に齎すために今日も彼女は剣を握るのだ。


ある夜、一人の男が悪事を働いた。とても穏やかで静かな闇夜のことだった。
男は一人の少女に恋をしていた。売り物の少女だ。貧しい水売りの男に少女を身請けするだけの金はなく、少女を手に入れるために人売りの男を殺した。丁度人売りの男が少女を慰み者にしている最中の出来事だ。男は少女の手を引き街を離れた。
男は少女を一目見た時から心奪われていた。少女もまた、男が水売りをしている時の笑顔に惹かれ、二人はたちまち恋に落ちた。

温厚な男の凶行ともいえる逃避行の陰には、あるものがかかわっていた。少女を強く思うあまり男の心には闇が巣食った。次第に肥大してゆく闇に、混沌の国の創造神であるイル・ガヴェスが目をつけたのだ。

イル・ガヴェスの囁きは男を奮い立たせ、少女を手に入れるための凶行へと走らせた。全てを覆い隠してくれる闇夜、嫌がる少女を無理やり慰み者にする人売りの男にナイフを突き立てる。

イル・ガヴェスは動いた。
男の心に巣食った闇を喰らい、己の腹の中で育てている混沌の世界の糧としたのだ。男と少女の背中を見送ると、イル・ガヴェスは街の中へ消えた。

夜警に見つかれば殺されてしまうかもしれない命がけの逃避行が、何故か楽しい逢瀬のひと時のようにも見えた。
イル・ガヴェスは思う。
人の心には必ず闇が存在する。
本来それは荒れ狂う心を鎮め、眠らせるための揺り篭なのだ。
しかし、そこに「悪」が生じてしまう。それも人が人である以上仕方がないのだ。
イル・ガヴェスは腹の中に「世界」をつくり、人の心の闇を喰らうことで混沌の世界を広げ、人の闇を元の安らぎの揺り篭へ戻しているのだ。
人が人であるために必要なのは「闇」である。「悪」の付け入る隙のないほどの純度の高い闇が必要だというのがイル・ガヴェスの持論だ。
イル・ガヴェスは思う。最近の闇は質が悪く深い。例えるならヘドロの底なし沼のようにきな臭く、どこまでも沈んでいってしまいそうな。恐らく原因は光の国が勢力を強めすぎているからだろう。強すぎる光は悪しき闇を生む。過剰な救済は時に誰かを傷つける。現に人売りの元にいた少女は救われたが、その代わりに人売りは死んだ。少女を救った男は人殺しの業を一生背負っていかねばならず、その身は来世で地獄の炎に焼かれ続けるのだ。
歯止めをかけねばならない。イル・ガヴェスは道を急ぐ。光の国へ向かうために。


イル・ルカは元は光の国と調和の国の境目に位置する農村で暮らしていた。
明るく優しいイル・ルカはみんなから愛されていた。
イル・ルカが喜べばなぜか美味しい作物がよく取れた。
その噂を耳にしたのが隣の村の村長だった。
この村の作物はあまり育たない。土壌に問題があるのだが、本来の問題から目を背け、イル・ルカのいる村を妬み、そしてある日イル・ルカを誘拐したのだ。星すら見えない息苦しい夜のことだった。
イル・ルカを手に入れるために多少の手を汚した隣の村の住民はイル・ルカを喜ばせようとあらゆる手を尽くしたが、イル・ルカはさめざめと泣くばかりで、外は常に大雨が降り注いでいた。
雨は止むことなく数か月が過ぎた。
これでは作物も取れない。そればかりか土壌を腐らせるほどの豪雨を降らせるイル・ルカは何の役にも立たず、村へ返すことにしたのだ。
こうして村へ帰ることのできたイル・ルカは大変喜んだ。
すると、あれ程降り注いでいた雨がぴたりとやみ、太陽の光が差し込んできたのだ。
イル・ルカは無事に村へ帰ることが出来た。
そして報復ともいえる出来事が隣の村で起きてしまう。
イル・ルカが去った後、村には雨が一滴も降ることがなく、作物も取れないまま飲み水もなくなり、いつの間にか村ごとなくなっていたそうだ。
その畏れから、人々はイル・ルカをつねに喜ばせることに勤めた。
元来の優しい性格のおかげで隣の村のような悲劇が起こることはなかったが、それでも人々はイル・ルカを敬い、崇め、そして畏れた。こうした畏怖の念からイル・ルカはいつしか「太陽の巫女」と呼ばれるようになり、不思議な力を持つイル・ルカはやがて光の国の支配者となった。
イル・ルカは思う。悪は心の闇から来る。心の闇は光で照らせば消え失せる。
光は人々の救いとなる。
そのためにはより純度の高い光を齎さなければならないと。
光の国の頂点に君臨するイル・ルカは闇の討伐に精を出している。
恐らく今日決着がつくだろう。
目の前には闇の帝王、イル・ガヴェスがいる。


【第二章 何でもない世界】

窓からさす朝日が男を眠りの世界から現実世界へ引き上げる。
同じベッドに眠る女も同様に目を覚まし、瞼をこすっている。
貧しい人間の朝は早い。朝取れの水を汲みに夫を早く送り出さなくてはならない。
妻はまだベッドに横たわる夫を残し、朝食の用意をする。
慣れない手つきで用意した決しておいしくはない料理を夫は美味しい美味しいと食べてくれる。このやさしさが妻にとっては幸せであり胸が苦しかった。
ライ麦パンと野菜のスープ。チーズが本日の朝食だ。スープは昨日よりはおいしく出来た。
夫を送り出し、家のことを済ませ、明日市場へ売りに行く石花(現代でいう造花のような人工の装飾品)を作る。
日の落ちるころ、夫が帰り、二人で食事をとり、他愛のない話をしてともに床に就く。
ある日から始まった代わり映えのない生活。
二人にとって幸せなひと時だ。

「おやすみ。」
「おやすみなさい。」

互いの額に唇を落とし、眠る。
明るい闇が優しく二人を見守る。
何でもない日常。何でもない世界。
二人の幸せな世界。  
誰にも壊されてはいけない、かけがえのない世界。
いつまでも一緒だ。あの日つないだ手を生涯離しはしない。
しかし、何でもない幸せな世界はどうしようもなく、壊されてしまう。

【第三章 それぞれの正義】

二つの国の支配者が対峙する場所は光の国と調和の国の境目。
過去にイル・ルカが攫われた今はなき農村の跡地だ。
ここなら遠慮なく力を使って戦うことが出来る。誰も傷つくことはない。
初めに動いたのはイル・ルカだ。
日の沈まない光の国はイル・ルカにとっては無尽蔵のエネルギー源だった。
太陽に剣をかざすと、剣は煌々と輝き、そして二回りほど刀身を大きくした。
細い腕からは到底想像もつかないような太刀裁きはイル・ガヴェスの頬を斬りつける。
「闇の帝王も赤き血を流すのですね。」
「あいにく元は人間なのでな。そなたもであろう?」
イル・ガヴェスは長い外套のあわせを開き、混沌の世界の住民を解放する。
次々と薙ぎ払われる混沌の住民たちは、それでも何度も蘇りイル・ルカへと襲い掛かる。
「貴方は、何故闇に生きるのですか?人の幸せは光の中にあるというのに。」
イル・ルカの一太刀が空を切る。
間一髪で避けたイル・ガヴェスが答えた。
「闇は本来心の揺り篭なのだ。人は明るい中では寝付けまい。闇は安らぎであり、闇こそ、心の安寧であるのだ。幸せの本当の居場所は闇の中であるとなぜわからぬか!」
イル・ガヴェスの中に住む混沌の住民が何本もの矢となりイル・ルカめがけて飛び掛かる。
「暗い闇の中では何も見えません!幸せへ導いてくれるのは光だけ!純粋な光こそ人々を幸せにするのです!人々を救うのは光だけ!闇に取り憑かれた愚者は消え失せなさい!!」
「消え失せるのは、そなただ!!」
二つの強大な力がぶつかり合い、その余波は思いもしないところへ向かった。
傲慢な、二つの正義のせいで。

【第四章 破壊と再創】

衝突した二つの強大な力は四散し、全ての国を破壊してしまった。
イル・ルカの刃を腹に受けたせいことでイル・ガヴェスの混沌の国は一瞬にして消滅し、イル・ルカが守りたかった光の国は、彼女自身の強すぎる光のせいでによって焼き払われてしまった。
そして無関係な調和の国にはありとあらゆる災いが降りかかり、たくさんの「悪」が蔓延っていた。
「悪」を食らうにも、糧とする混沌の国が消滅してしまった以上はどうしようもなかった。イル・ガヴェスは貫かれた腹を抑えながら、己の力を振り絞り調和の国を跡形もなく消し去った。このままではどちらにしろ国は滅んでしまう。これ以外の選択肢が思い付かなかった。
「違う……私が求めていたのはこれじゃないこんな世界ではない……」
「それは私とて同じだ。強大な力は破滅しか生まない。」
「……二人で世界を作りなおしましょう。私たちの罪滅ぼしはこれしかありません。」
「世界を破壊した私たちが我々が?」
「そうです。私たちで世界のすべてを作りなおすのです。光と闇が共存する世界。もし人が道に迷ったら私が進むべき道を照らすの。もし人が疲れてしまったら貴方の闇の中で優しく包んであげる……そういう世界を作るのです。」
「そうだな。共に生きよう。イル・ルカ。」
「はい。イル・ガヴェス。」
こうして二人の強大な力が結びつき、新たな世界の創造を始めた。
二人はやがて夫婦神となり、イル・ルカは人々の暮らしに絶え間ない祝福の光を注ぎ、イル・ガヴェスは人々の心の闇を希望へと導き、そして時に安らぎの揺り篭となった。